kemioに衝撃を受けた。若者を理解出来ない理由。
佐倉としたい大西というラジオがあるんだけど、何気なくそれ聴いてたら大西沙織がkemioの曲について話してた。
「kemio?vineで色々やってた人じゃん?」と思って軽い気持ちでYoutubeを漁ってたらめっちゃ衝撃を受けてしまったので連ツイした記録。
今日はkemioのYoutubeチャンネルをずっと観てて、「俺たちの平成はもうとっくに終わってて、世界は次の世代にいってしまっていたのか、、、時代はもう遥か先へと進んでいたんだ...」という衝撃でひたすら興奮してたhttps://t.co/GTKtki4gMC
— 宮崎由加(24) (@razokulover) November 28, 2018
vineとかの頃から存在自体は知ってたんだけどYoutubeチャンネルは観てなくて改めてみてみたらはぁ〜〜これがネクストジェネレーションの文化圏だ〜〜とわかった
— 宮崎由加(24) (@razokulover) November 28, 2018
俺より昔の世代は多様性というものに関して保守的で認識も下手でうまくやっていけないタイプが多く、俺たちの世代は性/国/人種とかその辺の多様性に関して「そういうもんをこれからやっていくんだぞ」という教育を受けて意識してたしまあ物の分別はつけられまっせというステータスだと思うんだけど、
— 宮崎由加(24) (@razokulover) November 28, 2018
kemioの世代はなんというか多様性は意識するものではなくてそこに当たり前のように「ある」ものだからもうなんというか全てが俺たちの先を行っているんだよ。それに気づいてしまってもうトンデモなく歳をとってしまったなと衝撃を受けた
— 宮崎由加(24) (@razokulover) November 28, 2018
昔読んだ風刺漫画で、黒人と白人の子供たちが互いの人種や肌の色をモノマネして遊んでるところに大人たちがやってきて「差別だ」と注意するっていう話があって。差別する心はその注意した大人たちにこそあるのだ、という皮肉なんだけど。これに登場する子供たちが、kemio世代で。なんか感動したわ
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そのkemioが歌ってるのがこの歌で。もう笑っちゃうよね。なんか多様性とかそういうの色々どうでもいいわという感じhttps://t.co/3GsD2al3Yw
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自分は今28歳で平成2年生まれで、そういうグローバルとかダイバーシティとかそういう言葉に晒されて育ってきたからある程度の理解と分別はつくし、それゆえ現代人っぽくうまく日常生活を送っていられてると思ってたわけだけど、時代はさらに先へと進んでいたんだ、おじさん気づかなかったよ、、、
「若者は理解できん」という問答は幾度も繰り返されてきたわけだけど、やっとその理由がわかった。
俺たちは「若者が作った文化」の完成形を客観的に知覚して、それを構造的に理解しようとするのだけど、それを作ってきた若者側は若者の存在がまさに俺たちが文化として読解しようとしてる「それ自体」だから理解もクソもないんだよ。
つまり「若者自体」でなければ本当の意味で理解および認識できないから、俺たちには鼻から薄っぺらい分析しか出来ないわけだ。
おじさんはkemioを見てこれに気づいちゃったからさ、もう色々考えるのやめて「あげみざわ〜」という感じで、今日はもうダメですという気持ちになりました
早く寝よ...