揖保乃糸より安物のそうめんを買ってしまう自分が悲しい
揖保乃糸には上級品・特級品・三神など格付けがあり、その細さや使われている小麦粉の違いによって決められている。
伝統的な手延べ製法で作られており、そこらのスーパーで売られている安物のそうめんとは味や舌触りにおいて確かに違いがある(らしい)。
もちろん値段は安物のそうめんよりも数百円高い。
これはいわば高い技術力の差による価格差だ。
では自分は揖保乃糸を買うのかというと、結局安物のそうめんを買ってしまうことが多い。
我が味覚ではそうめん自体の味の差がそこまで明確に判断できない。それよりもそうめんのたれや具の味の差の方が大きく感じられてしまう。
要は自分には揖保乃糸とそれ以外のそうめんの違いを大して理解出来ない。
ふとこの現象はシステム開発の現場にも当てはまると気づいた。
そうめん=成果物、そうめん職人=開発者、自分=顧客としたときに、顧客が判断するのは「成果物から得られる効果」だ。
自分の場合、そうめんから得られる効果、つまり(最低限の)味とコストと腹持ちでしか判断できない。細さの妙や小麦粉の違いなどの技術力は理解できない。
「技術力」と「技術力によって生成された成果物」と「成果物から得られる効果」があり、ビジネスという土俵において一番優先されるのは3つめの「成果物から得られる効果」だ。
自分はwebエンジニアだし、能力(技術力含め)そのものに金が支払われる世界に対しては肯定的だ。
けれども、一般的には技術力の高さではなく、その技術力から生成された成果物から得られる効用しか判断されない。
だから技術力で生き残りたい人は出来るだけ「その技術力から生成される商品の効用」と「技術力」がイコールになる業界で働くのがよい。企画力や営業力でどうにかなってしまう商品を主にしている会社だと厳しい。
頭では理解しているけれど、揖保乃糸より安物のそうめんを買ってしまう自分を顧みて、ふと悲しい現実に気づいてしまったので筆をとりました in 2018年 夏、という感じです。