Netflixで「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」を観て思ったこと

「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」は片付けコンサルタント近藤麻理恵が米国の家庭を訪問して片付けを行うNetflixの番組。現状全部で8話まで公開されている。

www.netflix.com

2019年1月1日に放送が開始され、瞬く間に人気となり、日本のTwitter上でも「KonMariメソッド」の名前を見ることが多くなった。

とりあえず何が人気の要因なのかといったことや米国でどういった盛り上がりを見せているのかといった情報はすでに複数の記事があるのでそれらを読むとよい。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2019/01/post-133.phpwww.newsweekjapan.jp

news.yahoo.co.jp

自分は物は試しと、とりあえず現状公開されている回は一通り視聴してみた。

片付けリテラシーの高さ

まず感想として、「これは片付け関係ないな」だった。

まずどの家も日本と違ってくそデカイ。

4部屋や5部屋は当たり前、庭もあるはガレージもあるわ、とにかく何もかもがデカイ。

だから「散らかっている」とはいえど、「普通に住むには問題ないじゃん、なんならうちの方が汚くない??」みたいな家が結構出てくる。

例えば5話のゲイのカップルの家とかスタート時からめっちゃ綺麗だったし。

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開始時の部屋の様子。普通に片付いてる。

スタート後はKonmariメソッドとして、服の収納術とか小物の片付け方なんかが順をおって説明される。が、それ自体に特に知らなかったというものはあまり無かった。

日本に住んでいて、平日昼間のワイドショーなんかをテレビで観たことのある人なら誰でもわかるようなものばかり。

よく考えると日本の住居は米国に比べたらとにかく狭い。

日米の住居サイズは2倍くらい差がありそうなのに、生物としてのサイズ差はせいぜい1.2倍程度だ。

だから人間の割合に比して居住スペースが全然少ない。

よって日本人は慢性的に日々収納に困りやすい。

そんな収納難が常になっている日本人なので片付けリテラシーがおそらくアメリカの彼らより高いはず。

だから近藤麻理恵を片付けのプロとして、その片付け術だけに注目すると拍子抜けすると思う。なんでこれがこんなに人気になるのか、と。

部屋が汚い

部屋が汚いというは極めて主観的な感覚だ。

絶対的な数値で綺麗や汚いという状態を測ることはできるかもしれないが、我々は普通そこまではしない。

床に髪の毛が落ちていれば汚いと言う人もいるだろうし、服がソファーに脱ぎ捨てられていることを汚いというかもしれない。

まぁおそらくリビングにうんちでも転がっていれば九分九厘汚いといえるだろうが、そういった明らかな場合を除くと部屋の汚さは大抵そこに住んでいる人の感覚の問題になる。

この「部屋の汚さは人による」というところがポイントだ。

近藤麻理恵が解決していること

部屋の汚さは問題の結果である。

家族共働きで忙しいとか、捨てるに踏み出せない何かしらの事情を抱えていたりだとか、こういった「人間の悩み」こそが原因であり、その結果として部屋が汚いという状況を作り出している。

現状の生活に大した不満を抱えていないならば思い切って綺麗に片付けようなどということには踏み切らない。

なのでこうした片付けの中で本当に解決すべきは人間の考え方や気持ちのほうである

現に彼女が解決しているほとんどは依頼人たちの思考や生活習慣のほうである。

無き夫を惜しむ妙齢の夫人には「あなたの新しい人生を歩みましょう」と言ったり、またある子育て+家事を1人で担当してるお母さんが疲弊している家庭には「みんなで協力しあえる家族関係を作りましょう」と言ったり。

これは部屋の汚さは関係ない。普通の人間の人生に対する普遍的なアドバイス

ところがこれを血縁関係のある親戚や会社の同僚などから言われると「あんたになんか言われなくともわかっとるわ」というような反応になると思う。

人間は多かれ少なかれ頭ではわかってるけど解決できない問題をいくつも抱えているが、それをただ指摘されるだけでは動けない。

真正面から問題に立ち向かって撃沈してきた過去があったりするし、そもそもそれが出来ていたら大した問題にはなっていないだろう。

そこで近藤麻理恵は禅やスピリチュアルな世界観をバックグラウンドとして身に纏いながら、第三者でしかも士(Sensei的な)高みから人生のアドバイスをする。

そして片付けをさせて綺麗にさせる。

現状に不満を持っていた依頼人は片付けを終えると目に見えて達成感を得ることができる。

片付けのすごいところはそこで、正直部屋の片付けはやろうと思えばほとんどの人間には出来る。

だからほんとは大したことでない。

だが、この場合はその大したことではないことが重要で、大したことがないからこそ必ず成功する。

しかも家という、その人がもっとも過ごす時間が長いであろう場所が目に見える形ではっきりと変化する。

これは強烈に「自分は変わった・自分はできた」という達成感を与える

依頼人にとってはなんと感動的なことだろうか。

部屋を片付けていたら悩みが解決するのだ、まさにKonmari method is amazing!!である。

最後に

仏教の一派には解脱し涅槃(的な世界や状態)へとたどり着く手段として、坐禅を組んだり滝に打たれたり、念仏を唱えたり、といった所作が色々ある。目指す場所は似たようなものだけども、そこに至る手段は宗派によって種々だ。

Konmariメソッドは彼女の編み出した片付け方ではあるが、それは手段にすぎず目指すべき状態は「悩みの解決された人生」である。

結局は人生の「問題のある現状」と「目指す状態」があって、そこにたどり着く手段としてのKonmariメソッドというわけだ。

米国では彼女の本の捨て方に関して物議を醸していたりするみたいだが、そんな物の片付け方に関する議論は全く本質ではない。

Sparky Joyに対してスピリチュアルで胡散臭いなどと言っている人も散見されるが、そういう人たちはお年寄りに席を譲ったり、食事の前にいただきますと言う習慣についてもよく考えたほうがいい。

スピリチュアルなあれこれは巷で批判されがちだ(特に医学に関するものはダメだとは思う)が、時と場合によっては人を救うこともあるし、頑なに拒絶するのもおかしい。

むしろ「なぜ人をそこまで惹きつけるのか」というそのメカニズムのほうに目を向けてみようという姿勢のほうがよっぽど科学的ではないか。

つい200年前にはカテーテルを麻酔なしで脇横からぶっ刺したりしてたのが医学だ。祈りでなんとかしようとしてた時代のほうが我々には圧倒的に長い。

現代では病に関して祈りでなんとかしようとする人間はさすがにヤバすぎるが、人生の悩みはまだまだ科学が解決してくれないことが多い。

だからこそ彼女のような一見スピチュアルにも見えるやり方が注目されるしヒットするのだろう。



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