和田彩花のとある日記を読んでアイドルの卒業について考えた

先日はてブでも少し挙がってたこのブログ。一部抜粋。

純粋素朴な気持ちが なぜこうもかき消されてしまいそうなのか

年齢に対する関心だけが 膨れ上がり、針一本で何かを溢れ出すことさえ可能なほどに 溢れ出したところで誰にも処理できぬ その状況こそが寂しく悲しいものであるのに まるでそのような状況をあわよくばそこから自分も救ってくれというかのように

具体的な年齢で物事を考えれば、 誰かにとって都合が良いのであろうか? それがあなたへの慰めになるのか? その視点がなければ、 私たちの行動を認め合うことができないのか?まるで私たちが行動を起こせないかのような?

そんなに私たちは無垢だと思われているのか?

ameblo.jp

アンジュルムのリーダーでありハロー!プロジェクト全体のリーダーでもある和田彩花の12月22日の記事だ。

誰に対して書いているのかはっきりしない、一見なにかの歌の歌詞ではないかとすらおもえる。

おそらくハロプロファンでなければ何のことを言っているのか皆目見当のつかない文章だ。

ただ僕はこれを読んで少し思うところがあったので雑にだけども書いておく。

まず最初にこのブログがなぜ書かれたのかの背景を先に説明しておくと、

  • これはJuice=Juice(ハロー!プロジェクトのグループの一つ)の宮崎由加が12月21日に卒業を発表した次の日の記事であり、
  • そのブログは彼女の卒業に対して不用意に騒ぎ立てる一部の人々に向けて書かれた文章である

ということだ。

要するに、とあるメンバーがハロプロを卒業するという発表を受けてファンが騒いでいるのでハロプロリーダーとしてブログを書きました、という形。

それだけならどこのアイドルグループでも割とよくあることなのだが、それにしては今回の彼女の文章はあまりにも怒りが滲みすぎているのではないだろうか。

それもそのはずで、もちろんそれだけではないのである。

このブログを理解するにはハロプロのファン内で密かにささやかれている「25歳定年説」を知っておく必要がある。



25歳定年説」とはハロプロのアイドルは25歳までに卒業することが決められている、とする俗説である。

もちろんこれは運営元のアップフロントが公式に発表しているわけではなく一部のファンの間でささやかれていることだ。

実際のところはどうなのかというと、この度卒業を発表した宮崎由加は現在24歳だし、先日卒業した飯窪春菜も24歳だし、過去加入した(25歳未満の時に参加している)メンバーで25歳を超えて在籍していたメンバーは1人もいない。

公式ではないものの実際のところ25歳までに卒業しているメンバーがほとんどだ。

こうした「25歳定年説」を槍玉にあげて事務所を批判したりでたらめを言う一部のファンが最近増えている。

各種SNSYoutubeのコメント欄などを見ても明らかである。

今回もそうした人たちが騒ぎ立てる中で、和田彩花が重い腰をあげて何とか事務所の検閲を通して書いたのがあのブログだ。

おそらくほんとうは、

25歳定年説とかそういうのねぇから。卒業を決意したメンバーを素直に応援してやれよ、くそが!!!

と書きたかったんだと思う。



ところで僕は次の一節が特に一番グッときた。

そんなに私たちは無垢だと思われているのか?

なんというか「ハッ」と気付かされる一文だ。

知らずしらずのうちの多くを求めすぎてしまっていたのではないか、とアイドルファンのあり方を自省させられる。



アイドルは夢を売る仕事と呼ばれることがあるが、この「夢」とはなんだろうか。

改めて考えてみると「夢」を売るとは正直どういうことかよくわからない。

例えば同様に夢を売る職業といわれるものにプロ野球選手があるが、これは比較的理解しやすい。プロ野球選手になると大抵何千万〜数億円のお金を稼ぐことができる。

多分に異論はある気がするが、彼らが「夢のある職業だな」と言われるときに用いられる「夢」は大体お金が稼げることの意味だろう。

しかしアイドルの文脈で語られる「夢」には金銭的な意味があるだろうか。

たしかに帯番組をいくつも持っていてCM契約数十本になるような超トップアイドルなら「夢」にお金の意味があってもおかしくないだろうが、ジャニーズ以外のアイドルにそれほど稼いでいる人がいるとは思えない。

むしろメンバーが多い分ほとんどのアイドルの給与は低くなりがちな気さえする。

では彼女達のようなアイドルが売る「夢」とは何だろうか。



アイドル(idol)とはもともと神や仏など崇拝される偶像のことを指す。

転じて現在の日本では「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物」*1をアイドルと呼んだりしている。

この「成長過程をファンと共有」し、その中で「彼女達の夢」が叶えられる姿を共に応援し、擬似的に「夢を叶えるというイベントを追体験する」というのが近年のアイドルファンの一つの推し方である。

AKB以降、絶対的な完成系ではなく未熟な研修生時代からコンテンツ化された結果がこうした推し方を生んだ。

ほとんどの大人達は何かしらの夢に破れている。

野球選手になりたいとかサッカー選手になりたいとか、子供の頃はそういった夢を持っていたけどもそうした夢を叶えられるのは限られた一部の人たちだけだ。

だからほとんどの人たちは夢を叶えられなかった。

そんな大人達に夢が叶う姿を見せて擬似体験させてくれる、というのが今のアイドルだ。

なので現代のアイドルが売る「夢」とは、彼女達の「人生そのもの」というあたりが妥当だろう。



魔法少女まどか☆マギカ」は、願いを叶える代償に「魔法少女」として戦うことになる少女たちの過酷な運命とその葛藤を描いたアニメだ。

少女達はソウルジェムと呼ばれる宝石状のアイテムに魂を変換されている。このソウルジェムは穢れてしまうと死んでしまうのでそれを防ぐために 日夜魔女と戦い、グリーフシードという穢れ防止薬のようなものを集め続けなければならない。

アイドルはこの魔法少女に似ている気がする。

「夢」を叶えるためにアイドルになったものの、ファンからの期待に応えるため、日々厳しいレッスンをこなし、チェキや握手会などの接触イベにタイトなスケジュールのコンサートを行う。

10代そこらの大事な時間を全てここに注ぎ込んでいるという犠牲。

その負荷が極度に時間を圧縮し、よりパフォーマンスを際立たせ、さらに尊さを増させる。

高校球児が炎天下の中白球を追いかける姿に感動するというやつと同じだ。

大人達は金を払って青春を食ってるとでも言えるかもしれない。



こうやって考えてみるとアイドルがこの青春売買の輪廻から抜け出す方法は卒業くらいしかない。

卒業することで今まで犠牲にしてきた分の時間を自分のためだけに充てることができる。

特にここ数年はあらゆる選択の自由と多様性の理解が進んでいて、好きなことをやろうと思ったらいくらでもできる。SNSをのぞけば誰がどこにいったとか何をしたという情報も簡単に入手できるし、そういう自由な生活への憧れも高まるだろう。

それに比べてアイドルはあまりにも縛られすぎている。

いつのまにかアイドルを神格化し、ファンの業を固め合わせた重い十字架を背負わせてしまっていたことに気づかされる。

こうした「何も文句を言わず俺たちの望むことだけしておけ」とでも言えるような行き過ぎたファンの業に対して和田彩花はカチンとくるところがあったのだろう。

なんというかあの和田彩花のブログは「アイドルの人間宣言」というタイトルをつけておきたいくらいの歴史的な文章になるかもしれない。

AKBから10年以上経って、特に今年はアイドルグループが次々に解散を発表し、古参メンバーの卒業発表も相次いでいる中、もしかするとアイドル自体全て消えてしまうかもしれない。

そうなると困るのはファン自身なんだよなぁというところで、結局自分達にしわ寄せがきてしまうことを意識しておかないといけないだろう。



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