モーニング娘。’18を卒業した飯窪春菜がVTuberを始めたこと及びアイドルがVTuberになることについて
2018年12月16日、飯窪春菜がモーニング娘。’18を卒業した。
彼女は2011年からおよそ7年間在籍したメンバーであり、モーニング娘。’18の最年長のメンバーだった。
年長者として時には後輩を叱り、時には笑わせ、ムードメーカーとして「モー娘。の明石家さんま」と言われるほど場を明るくすることに長けたメンバーで、様々な側面でグループをまとめてきた。
そんな彼女が卒業コンサートの前日に行われていた日本武道館のコンサート中に突然「私、飯窪春菜は卒業後、VTuber『Ni-na(ニーナ)』のプロデューサーになります」と発表したのだ。
最初は「え?なぜVTuber?」という感じで困惑した気持ちでこれを観ていたのだけど、時間が経つにつれてじわじわと事の重大さを認識していった。
なぜならそこにいたのは紛れもなく飯窪春菜だったからだ。
もちろんサイズ感含めて見た目は全く違う。
ただの美少女3Dオブジェクトだ。
だが声は明らかに飯窪春菜で、中身も完全に飯窪春菜本人だった。
アイドルの卒業は今まで何度も見てきた。
ある者は女優業をはじめて更にステップアップする、ある者は歌手としてソロデビューしアイドルとはまた違った形での音楽活動を模索する、そしてある者は全く別の人生を歩むために芸能界を引退していく。
そして卒業したはずの「アイドル 飯窪春菜」はそこには生き続けていた。
僕はこの一連の流れを見て、市原えつこ氏のデジタルシャーマンプロジェクトを想起した。
デジタルシャーマンプロジェクトとは、故人の人格や仕草などを憑依させたロボット(やそれに近いデバイス等)と49日だけ遺族と過ごしてもらえるようにするシステムだ。
死者と残された人の間をテクノロジーによって繋ぐという21世紀らしい面白い試みのひとつである。
死者 -> アイドル
遺族 -> ファン
という構図を置くと、
飯窪春菜の卒業後の立ち振る舞いとファンの関係はなんとなくそれに似ている気がする。
推しが卒業して心に空いてしまった穴を埋めて、行き場のない喪失感の間を取り持ってくれる、そんな役割だ。
「アイドル 飯窪春菜」はいなくなってしまったが、「VTuber Ni-na」としては変わらずそこに生き続けている。
Youtubeをひらけばいつでも会える、むしろそれは今までよりもずっと距離が近くなっているのではないかとすら思える。
僕は死んだはずの人の温もりが変わらずそこにあるという感覚を感じたことがなかったのだけど、Ni-naでそれを感じた気がした。
だから動画を観た時の第一印象は「なんだこれは...」だった。
今後どういう活動をしていくのかはまだわからない。
ただ、アイドルとして、モーニング娘。として、第一線で活躍してきたアイドルが本気でVTuberをはじめるということの意味はVTuber界隈にとって大きな意味を持つ気がする。
今ですらすでに有名声優(大塚明夫とか)がやっているVTuberのチャンネルが出てきている中で本格的にアイドルも参戦してくるステージになっていくということだ。
飯窪春菜を筆頭に来年はVTuberをはじめるアイドル、しかもある程度事務所の大きなところのアイドルが出てくるのではないだろうか。
VTuberとして動画を定期的にそれもそれなりのクオリティで出そうと思ったら結構な金が必要になる。
となると、あまり金銭に余裕のない地下アイドル事務所には戦いにくい。
これはネイティブアプリ市場が市場の成熟にしたがって札束勝負になり、新規参入で戦うのが難しくなった時と似ている。
アングラなイメージはもうこの1年ですっかり無くなり、キズナアイを筆頭に一般人にも浸透していきそうな現状で、今後は本格的にアイドルなどのファン母体のある芸能人たちが参入してくるだろう。
ファンにとってはいつも推しを感じられるのは悪いことではないだろうし、VTuber市場としてもさらに活況を呈することに反対はしないはずだ。
何にしてもアイドルファンとしては卒業したアイドルが形は違えどアイドルっぽく露出してくれるのは嬉しいことだと思うので引き続き「Ni-na(飯窪春菜)」の活動に注目していきたい。