未来を想像することの難しさ
同僚と昼飯を食ってる時に100年後の人類はどうなってるんすかね〜みたいな話をした。
100年後というとドラえもんがやってきた22世紀の未来だ。
そこでは感情のある2足歩行のロボットがいるし、タイムマシーンで過去に遡ることもできる。
しかし今からあと80年やそこらで過去に遡るタイムマシーンが果たして完成するだろうか?
感情を持つ2足歩行のロボットなら実現するかもわからないけどもBoston Dynamicsの動画を見る限りまだまだ先だろうという感じがする。
これは公衆電話型のフォルムで電話越しに叶えたい願望を伝えると現実世界がその通りに変わってしまうという夢のような道具だ。
Wikipedia - もしもボックスによると1975年が初出らしい。
その当時の自然な感覚で描くととても未来的ではあるが、今の私たちから見たらどうだろうか。
電話ボックスなんて今やほとんど見当たらないし、電話といったらモバイルフォンを想像する人が多いだろう。
もし今藤子不二雄が同じひみつ道具を描いたならばきっと「もしもボックス」ではなく「もしもスマホ」のような名前の道具名にしたに違いない。
藤子不二雄の彗眼を持ってしても40年先の未来ですら予知することは難しい。
詰将棋をやったことがある人はわかると思うが、探索経路がたかだか数十であったとしても一般人なら三手詰を解くのにも苦戦する。
三手詰を解くために読む必要があるのは初手とその次の相手の手と最後に自分が指す手の計三手だ。
しかし三手といってあなどるなかれ。はじめて3手詰ハンドブック 新版に挑戦した時は全然解けなかったと記憶している。
答えが決まっている問題であっても、人間にはせいぜい三手先の未来を読むことすら簡単ではないのだ。
TLに下記のようなツイートが流れてきた
周波数の単位、Hzに名前を残すヘルツさんが、電波って何の役に立つのか?と聞かれたときに「まあ何にも役に立たないだろう」と答えた。今、スマートフォンで誰でも毎日セルラーやWiFiを使っているわけで、本当に何が役に立つのかは創始者ですらわからない。科学技術の予算の選択と集中は危険なわけ。 https://t.co/GtYnxWfXNO
— tomo (@tonagai) 2019年2月4日
予算の選択と集中は現在の常識で今後役に立ちそうかどうか?で判断せざるを得ない。
それは先に述べたドラえもんのもしもボックスのような未来予知になってしまう気がする。
ツイートにもあるように科学技術に関しては特に基礎研究がその後どこで役に立つかわからないことが多い。
だから未来を想像することが苦手な人間には選択と集中ではなく、目先に囚われない予算配分と規制の緩和で裾野を広げる策のほうがよい。数打ちゃ当たる戦略だ。
よく考えれば1週間先の天気予報でさえままならない我々が数年先の未来に必要となる研究対象を適切に選択できるはずがない。落ち着いて考えてほしい。
何か一言ある人はブコメに書くか@razokuloverまでどうぞ。