「一箇所でうんこをすべき派」と「どこでうんこをしても問題無い派」
日本だと排泄物を一箇所でするようになったのは縄文時代初期あたりと言われてるけど*1、その習慣ができる前後は「一箇所でうんこをすべき派」と「どこでうんこをしても問題無い派」で争いが起きたんじゃないだろうか。
「うんこは生理現象だ!どこでしたっていいじゃないか!」みたいな。
でもニオイもひどいし、たぶん衛生的にも悪くなりやすいからみんな渋々一箇所で排便することに落ち着いていったんじゃないかと思う。
「うんこを一箇所ですべきか否か」で議論になるなんて今の常識で考えたらとてもバカバカしく感じるけど、それから約5000年くらいたった今、タバコに関するあれこれで似たような議論が起きてて面白いなーと思ったりする。
ただし排泄と違って喫煙は生理現象じゃないから、個人の自由だろうという主張で「どこでも吸う派」とかタバコは体に害を与えるという主張で「喫煙はどこでもすべきでは無い派」がいたりするのでもう少し複雑になっている。
大昔の「どこでうんこをすべきか問題」に思いを馳せてみると、きっと数千年後の人類は分煙やら禁煙やらで議論を巻き起こしている我々のことを同様にバカバカしく感じるに違いない。
そう考えるとムキになってイライラするのもアホらしく感じてきてまぁどうでもいいかなと思えたりするようになる。
これが大人の余裕というやつだ。
うんこについて考えてて「大人」とは何事かという気もするけど。