情報を浴びるのを控える

最近スマホからTwitterのアプリを削除した。理由は無限に流れてくるコロナウイルス関連のツイートに少し疲れたからだ。

自分は一般の人たちよりTwitterをよく見る方だと思う。通知はオフにしているが友人のリストやニュースのリストや推しのアイドル関連のリストなどがあり、アプリをひらけば常に新しい情報を得られるため飽きずについつい見いってしまう。ついつい見いってしまうのが自分の好みの情報なら構わないが今はみんな暗い話題ばかりつぶやいている。

「コロナ」をミュートワードに設定すれば済む話なのかもしれないけど実際のところ「コロナ」をミュートに入れたくらいではダメだった。「誰が罹患した」とか「感染者が今日は何人増えました!」みたいな、別にそれ知ったからといって不安になる以外に何の意味もないつぶやきが延々と流れてくる。感染者が昨日より多いという情報を一般人が得たところで不安感以外に何を得られるだろうか。

初めのうちは確かにニュースとして世界と日本の置かれている状況や自分達がやるべきことの概要を知るのに意味はあったと思う。しかしコロナショックが深刻化してもう1ヶ月は経ったし流石に今やるべきことは十分理解した。そしてこの状況は1週間とか1ヶ月とかそういう規模感ではなく1年とか2年とかそのくらいの期間共に過ごしていかないといけない可能性のあるものだということも理解した。

長期戦になるならば毎日不安を抱いていては身が持たなくなる。痛いとわかっていながら傷口を何度も覗くようなものだ。

自分へのオススメのニュースや記事が勝手にレコメンドされるようになり常に先端の情報を得られる環境になって久しいが、今はあえて情報を浴びずに少し流行に疎くなるくらいの方が平常心で暮らせると思う。

テレビは元々見ないしPC以外ではTwitterもあまり見なくなった。もちろんPCからTwitterでつぶやくことはあるがスマホほど自分のパーソナルスペースにある訳ではないのでそんなに何度も見ることはない。

すると身の回りでいつもと違うのはスーパーが少し混んでいるくらいなものだ。そもそもインドアな性格だから外出は元より多くない。平時と大して変わらないのである。

いつも通りの暮らしに戻った気がした。

情報を浴びるのを控えることで四方八方から流れ込んでくる様々な情報が自分の日常の多くを作っていたということに気づかされたのだった。