大人

いくつか認識違いがあったので修正した(追記 2019/2/14 16:27)



よもやま話として大人を満たす最低条件とは何か?という話をした。

「最低条件」なので「これを満たさなければ大人とは言えない」というものにしたい。

そこでいくつか考えた結果、「想像力」と「判断力」が最低限必要な条件ではないかという結論に至った。



司法において責任能力とは、善悪に弁別に基づき判断し実行する能力のことをいう。

精神疾患を抱えており判断能力がないと判断された時は法で裁かれず、治療が優先される。

また、0歳から13歳までは刑事責任能力がないので法で裁かれない。

加えて14歳から18歳までは少年法という特別な法律で裁かれる。

一般の刑法が適用されるのは18歳からである。

一般に刑事責任を問われるのは14歳からである。

大人とは司法におけるこの「責任能力を兼ね備えた存在」のことをいうのではないか。



そこで責任能力をもう少し一般的に理解しやすい能力に分解すると、冒頭で挙げた想像力と判断力に帰結する。

例えば、高い崖の端に人が立っている場面を想像してほしい。

崖の後ろにあなたが立って、後ろから思い切り押すとどうなるだろうか。

想像力を兼ね備えていれば崖から落ちて地面に強く叩きつけられて内臓が破裂したり頭蓋骨が陥没して死んでしまうということがある程度予想できる。

そして判断力が備わっていれば思い切り押すという判断は下さないだろう。

もし想像力と判断力が無ければどうなるだろうか。

高い崖から人が落ちると死ぬということはどこで学ぶのか。

きっと物心ついたばかりの子供には理解できないはずだ。

また押して死んでしまうのはなぜいけないのかを知らないと思い切り押さないという判断は下せないだろう。

我々は成長の過程で想像力を手に入れ、法律・倫理・教義・信念などを学んでいくことで適切な判断力を得ていく。

それらがちょうど成熟する頃合いというのが、日本では一般に18歳以上ということであり、それを責任能力を持つ大人と呼んでいる。



よく凶悪犯罪を犯した犯人のプロファイルで「共感性が著しく乏しい」などと述べられたりすることがあるが、これはこの文脈で言うと想像力の欠如のことだ。

殺人を犯すとその被害者家族がどう感じるか、自分の家族はどう思うか、そういったことまで思考を巡らせられていないことを指している。

判断力の場合は少し特殊だ。

なぜなら判断力は想像力とは違い、判断の元となる軸の良し悪しによって大人か否か決まるからだ。能力そのものとその質の大人らしさも必要とされる。

先の崖の例で言えば、法律を軸にして殺人罪に問われると判断すれば突き落としたりしないが、もしとある新興宗教の教義に死の手助けをすることは好ましいことであるといった規定があれば進んで突き落とすだろう。

つまり判断力に関しては判断の元となる判断軸が適切であることが重要になる。

想像力と判断力は大方過ごしてきた環境や時間の長さに影響される部分も大きい。

なので大人とみなされるまでにはある程度の(日本では18年)時を経っていないと未成年扱いするというのはまぁまぁうまく出来ている気がする。



この前こんなニュースがあった。

news.livedoor.com

未成年と大人では想像力と判断力に非対称性がある。

その非対称性につけ込んで自分の思い通りにことを進めようとすることは暴力だ。

22歳の女性いいなーとか普通の恋愛では?といった反応はあったが、想像力と判断力に大きく差があるという意味で弱みにつけこんでいるただの暴力であり、犯罪という扱いなのも妥当であろう。



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