「仏教思想のゼロポイント:悟りとは何か」を読んだ

(ブッダの)仏教について基礎を得ようと思いこの本を読み始めた。

本書を読んで自分が理解できた仏教の考え方をサクッと書いてみる。

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仏教は縁起という概念が根底にある。

これは全ての現象は原因の結果であるということである。

人の世は渇愛による煩悩で溢れていて、これが苦である。

この苦は縁起により発生しているのですなわち原因がある。

これを取り除かなければ苦から逃れられない。

これは肉体が滅びてもなくならない、すなわち輪廻しつづける。

過去の苦は輪廻先でも続く、この苦の積み重ねを業と呼ぶ。

苦なる世界の輪廻から解放されることを解脱という。

解脱した先に、あらゆる現象をありのまま知覚できる状態になったことを涅槃とし、これが仏教の境地。

「物語としての人生(=苦にまみれた一般の人の世)」と「それから解放された世界」を理解できると全体像が掴みやすくなる。

例えば物語の世界では「ゴキブリが発生した」という現象に対して「不快」とか「嫌悪」といった情動が生まれるが、

物語から解放された世界では全ての現象をただありのまま認知できるようになっているのでただ「ゴキブリが発生した」以上の何でもない。

こうした現象をただありのままに受け入れられるようになるために気づき(マインドフルネス)という修行が行われる。

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自分は仏教というと「あらゆるものは無意味で人の世さえも無意味である、なので死んだ方がマシなのだ」と考える人もいる気がするのだけど、それを明確に否定しているのが特に面白いなと思った。

仏教における「我」は肉体的なものではなく経験的なものである。

ゆえに死んだとしてもなお、苦の原因を断ち切らない限りその輪廻からは逃れられないという鉄則がある。

つまり死ぬことは何の解決にもならない。

必要なのはまずはその苦の原因たるものを「気づき」ありのまま「ある」と認識することだ。

この基本さえ知っておけば、仏教はニヒリズムだとか厭世的であるといった誤解は解消できる気がした。

また "対象への執着がなく利益が得られるわけでもなく必要でもないただ楽しい、このようなあり方を遊びと呼ぶ。こうした仏教の境地を遊戯三昧という。"という考え方も面白い。

遊びというのは涅槃の末にある境地であり、彼らが一般人に教えを説くのは何を得たいとかそういう程度の話ではなく単なる遊びなのだという。

これは近年の自己実現とか働くことの価値観の文脈でよく話題にされている遊ぶ・楽しむという概念と同じじゃないか、ということに気づいて驚いた。

大昔の考えた境地が現代でも是とされようとしてるところに真理のようなものを感じた。

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自分は仏教の知識がゼロだったので最初は概念自体くそ難しくて理解不能だったけど、

この本は「要するに〜」とか「つまり〜」といった端的に概念を要約すること心がけてくれているので初心者でも理解できると思う(仏教への興味は必要)。

宗教は基本的に「問題」とその「解決法」と「ゴール」がある。そのあたりに着目しながら読んでいくのがオススメ。

哲学とか宗教とかを少し知ると、世界の捉え方について新しい補助線を手にいれられる。それがとても楽しい。

クソ暑い日々が続いてるけどお盆休みなんかに少し落ち着いて読んでみるとよいと思います。