人はなぜ毎回うんこを流すのか

大人ならトイレで用を足した後毎回ちゃんと流すと思う。

でももし無人島で自分ひとりしか暮らしていなくて、TOTOのウォッシュレット付きトイレが設置されている環境があったならそれでも毎回うんこを流すだろうか。

たぶんボクは流すと思う。

別に誰もいないし最近のトイレは消臭効果も高いので毎回流さなくていいはず。

でもボクはちゃんとうんこを流すと思う。

僕らの新しい道徳

僕らの新しい道徳

先日この本を読んだ。

道徳について岡田斗司夫さんと7人の文化人が道徳とはなにかについてそれぞれ対話形式で語りながら新しい道徳の形を探っていくという内容。

本の中で道徳と倫理の違いはなにかという話があって、そこで倫理は個人的な規範(美意識など)で道徳は社会的な規範(ルール・建前)と概ねまとめられている。

道徳と倫理について違いを述べよと言われても、ボク自身うーんと悩んでしまっている自分がいたし、一旦こういう定義で物事を判断してみるのもアリだろう思う。

で、そういう補助線を前提にすると先のうんこ問題でボクが無人島でもかかさずうんこを流すのは倫理が働いているからだといえる。

無人島でうんこを流すのは美意識だ。

うんこを流さない自分を許せないから流す。

これは倫理の問題だ。

じゃあ家族と暮らしていた場合、うんこを流すかというともちろん流す。

それは個人の問題というよりも他の家族が自分のうんこを見て嗅いで不快な気持ちになるのを防ぐためだ。

これは複数人で暮らしていく中でのルールであり道徳的な考え方。

学校や会社でも同じくこの道徳が働くからぼくはうんこを流す。

なんというか倫理でうんこを流したり道徳でうんこを流したり毎日非常に忙しいなと思った。

どうでもいいんだけど小学生の頃、絶対うんこを流さないってやつがいて小学生の持てる最大限の軽蔑を彼に送ったのを思いだした。